アンドリュー・ワイエス追悼
アンドリュー・ワイエスが亡くなってから1週間が経ちました。
Kさんからの情報で、福島美術館での展覧会があるということを知り、早速ホームページを調べてみました。
2009年3月17日〜5月10日
福島美術館の所蔵作品は、《ガニング・ロックス》1966年 水彩画。
それ以外にもあると思ったのですが・・・記憶がさっぱり・・・
福島美術館にアンドリュー・ワイエスの作品があることは、以前から知っていて、電話で展示されているかどうか確かめたところ、その時は展示されていませんでした。
美術館は、このようにすべての所蔵作品を常に展示しているわけではありませんので、見たい作品があるときは、前もって確認が必要です。
福島美術館 アンドリュー・ワイエス展のページからの転載ですが、
「ワイエスにとって創作の意欲がかきたてられるのは、自分の心にカチッとスイッチを入れる何かを目にしたときであり、フェンシングで相手に向かうような気持ちで画面に向かうと言います。」
という一文がありました。
全く同感というか、ワイエスでもそうなんだなあ・・・・と思いました。
展示会で、
「毎日絵を描くのですか?」
と質問されるのですが、たぶん画家というのは、一日中絵を描いているわけではありません。
少なくとも、何か美しいものに出会うとか、インスピレーションが沸いたとか、
夢をみたとか、悲しいけれど心にひっかかったとか、
そんなトリガー(動機)がかからないと、なかなか良い絵が描けないのではないでしょうか。
というか、そんなときに無性に絵にしたくなるのだと思います。
多作のワイエスでも、きっと一日中描いていたわけではないと思います。
絵のタッチが細かいために、毎日無心に描き続けたであろう、とは想像できますが。
ワイエスにとって、トリガーはクリスティーだった時もあるし、オルソン・ハウスだった時もあるのでしょう。
またあるときは風にゆらぐレースのカーテン「海からの風」(オルソンハウスの窓)だったり、
草原の少年「遙か彼方に」だったり・・
ところで、
数年前に、隣町の小さなフランス料理店に行った時に、店の奥にかかっていた暗い絵がすばらしく見えました。
「暗くてもすばらしい絵は、この絵はすばらしいなあ・・・」
近寄ってよく見るとワイエスの複製画(単なる印刷)でした。
ワイエスとは全く知らずに、強く惹きつけられたのですが、彼の絵の深さを感じました。
その絵は「ケルナー牧場の夕暮れ」 1970 Evening at Kuerners でした。
ワイエスの絵って、昔はその繊細なタッチに驚いたけれど、
もしかして、彼の魅力は、暗さ、寂しさを美しい絵にしてしまうこと・・・?
ワイエスが生まれたペンシルバニアはNYから車でも数時間で行ける静かな州です。
私も車で訪れたことがありますが、ランカスターという地域には、アーミッシュという人々がいて、
今でも馬車とランプの生活をかたくなに守っています。
緩やかな丘陵がつづき、馬車の生活をする人々が近くに住む、そんな地域にワイエスは生まれ育ったのでしょう。
彼の夏の家はメイン州にあったそうです。
アメリカの作家って、よく夏と冬で違う家に住みますよね。
ワイエスがベッツィに出会ったのも、このメインの別荘です。
ワイエスは22歳の時に17歳の彼女に出会い、惹かれあいました。その後結婚しました。
メイン州はとってもとっても美しい州で、よく映画になったりします。ボストンの少し上。
海が美しく、点在する島々に避暑に来る人も多くいます。
イメージとしては赤毛のアンのシャーロットタウンのような感じかな?実際、メインの北はもうカナダです。
夏は明るく美しい・・・でも、冬がとてもとてもとても寒いところです。
ワイエスを一躍有名にした「クリスティーナの世界」の世界は、どことなく寂しげで悲しげ・・・そう思いませんか?
何故、この女性はこんなところで、家に向かってはっているの?
実はクリスティーナは、手足が不自由でした。
彼女が野に野菜を取りに出かけて、ゆっくりと這うように家に帰ってくる姿をワイエスが見て、
その姿が頭から離れなくなり、絵にしたのです。
右上の家は、その手足が不自由なクリスティと、内向的で口数がすくないアルヴァロという姉弟が、貧しくも慎ましい生活を送っていた家オルソン・ハウスです。
手入れが行き届かない今にも朽ちてしまいそうなオルソン・ハウスにもワイエスは惹かれました。
寒い寒いメイン州で、慎ましく静かに暮らす姉と弟の家です。
ペンシルバニアとメインの中間、NYの大都会で、抽象画がもてはやされている時代になっても、
アンドリュー・ワイエスは、自分の心に引っかかったものを黙々と絵にしました。