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皆さん、こんにちは。
このページの管理人、村田收(むらたおさむ)です。
私は、みなさんと同じように子供の頃から絵が大好きでした。でも、美術大学に進まず、普通の大学(経済学部)、普通?のサラリーマン、普通?の小学校教師など・・を経て30歳近くになって絵の道に飛び込みました。
最初は、作品ファイルを講談社、集英社などの出版社に作品を持ち込み、本の挿絵や表紙を描く仕事からスタートしました。

しばらく東京で出版・広告のイラストレーターをやった後に、やはり美大で専門的に勉強したいと思い、TOFELを勉強し直して、33歳でニューヨークのPratt
Instituteに留学。当時、すでに結婚していましたので、妻とともに学校の家族寮に住みました。
日本ではコロンビア大学とかエール大学などの総合大学が有名ですが、絵に関してはこうした総合大学ではなくて、Prattのような美術専門大学がレベルが高い教育機関になります。音楽ではジュリアードが有名です。最初は家具がない学生寮の部屋にダンボールを引いて、その上で二人でダンボールのテーブルで、食事をしたのがよい思い出です。
Art Students
Leagueという学校にも通いました。先輩にノーマン・ロックウェル、ジャクソン・ポロックなど、早々たるメンバーがいます。マンハッタンでよく本を読んでいた図書館の柱に素敵な油絵(原画)が、なにげなく飾られていました。児童書の挿絵っぽいその油絵は30号くらいのもので、写実的なものでした。とても好きな絵だったのですが、作者を見ると、「N.C.ワイエス」と書いてあります。
アンドリュー・ワイエスのお父さんで、息子のアンドリュー以上にアメリカで有名なイラストレーター件、画家です。
アンドリューが、最初から売れたのは、間違いなくお父さんのおかげだと思います。 その絵のすぐ横で、本を読んで何時間も過ごすことができたのですから、とても幸せな経験でした。
2年間の留学から戻った後は、やはり自分のスタイルを探しながら、尊敬するN.C.ワイエスに見習って?イラストレーターの仕事に就きました。いろいろな技法を試しながら仕事を続けました。N.C.ワイエスが得意だった児童書の挿絵も何冊も描き、最終的にはカレンダーという、自分としては一番あこがれの仕事をメインにできるようになりました。
その後、御用邸で有名な那須高原に森の中に移り住み、水彩画の個展活動を中心に絵の活動を続けて現在に至っています。
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私は日本の美大出身ではありませんが、帰国後、CGを学ぶためにデザイン系の会社に属していたことがあり、その時、東京芸大、武蔵美術、多摩美などの有名美大出身者が部下に多数いましたので、いろいろと情報を得ていました。
また日本特有の美術公募団体というものにも属していません。その分、もしかしたら普通の日本の画家よりも広い視野?で絵の世界を見ることができているかも・・・と考えています。
本などでの独学の期間も長いため、読んだ技法書の数は数え切れません。今でも独習は続いていて、とくに和訳されていないアメリカ・イギリスの作家の技法書をよく読んでいます。DVDなども直接輸入して見ています。日本の技法書はなぜかいいものがないので、しょうがなくこの状態が続いています。
絵の才能がない・・とおっしゃる方が多いのですが、実は、楽しみながら描いていれば、だれでも進歩します。
また、絵を描くという時間そのものが、瞑想のように、精神的にとてもすばらしいものなのです。とくに水彩画は、描くのが気軽にできますし、画材も安価です。
私もまだまだ勉強中(たぶん一生)ですが、絵が大好きな皆さんのために、今まで学んだ知識を、少しずつこのサイトで紹介できたらと思っています。
ぜひ、いっしょに絵を描きましょう。
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